東京地方裁判所 昭和24年(ヨ)1326号 判決
債権者 野村秀三郎
債務者 山本貞夫 外一名
一、主 文
債権者の本件仮処分命令申請はこれを却下する。
訴訟費用は債務者の負担とする。
二、事 実
債権者は「債務者等はこの命令送達の日より十日以内に別紙目録<省略>表示の建物を明渡し、債権者に引渡すべし」との仮処分命令、もし右仮処分が急速に得られ難い場合には先づ「債務者等は、債権者が関東配電株式会社及び東京瓦斯株式会社との各契約により夫々計量器を通じて供給を受ける電気及び瓦斯を、債権者の許諾を得ずに使用してはならない」との仮処分命令を求める旨申立て、その理由として、次のように述べた。
債権者は昭和二十年四月二十二日訴外山本俊助先代武俊から別紙目録表示の建物一棟全部を賃借居住し、同年九月次男能雄を同居せしめ、同人はその後この家で歯科診療所を開業するに至つた。右家屋賃貸借の期間は契約当時空襲が激しく、この建物もいずれ戰災により燒失することが予期せられたので、將來戰災にあうと否とに拘らず、建物の存続する限り賃借できる約束であつた。然るに武俊の弟である債務者等は債権者に対し、右建物に同居方を求めてきたが、債権者はこれに應じなかつたところ、昭和二十一年三月二十八日債務者等は右建物中別紙目録表示の部分に対する債権者の占有を侵奪して、現にこれを占有中である。
よつて債権者は同年十一月十二日債務者等を被告として東京区裁判所に、占有回收の訴を提起したが、左記のような理由で債権者は到底右本案訴訟の判決確定まで待ち得ない状態にある。即ち、
債務者等は本件建物に侵入占拠後、債権者を追出そうとして債権者の家族に対し、屡々罵詈嘲笑をあびせ、時には喧嘩を吹かけ暴力を揮う等債権者をして居住に耐えないようにし、そのため、債権者はかねて計画中の著述の執筆を妨げられるし、次男能雄は歯科技工の精緻を要する義務に支障をきたし、來診の患者が畏怖を感じて減少したため收入に多大の影響を及ぼしている。かつ又債務者等は債権者が関東配電株式会社及び東京瓦斯株式会社との供給契約により各計量器を通じて供給を受ける電気及び瓦斯(その代金は債権者が負担する)を債務者等の日常生活のみでなく、内職たる写眞の燒増し、引伸し等に盗用してその使用料相当の損害を債権者に與え、使用量が割当供給量を超過すれば多額の割当超過料金を徴收せられるし、ついには供給停止の処分を受けるおそれすらある。こうした経済上の損害は本件仮処分命令申請当時(昭和二十二年十二月十五日)において既に約十万円に達し、債務者等の不法占拠の継続する限りなお累増するのであるが、債務者等にはこの損害を賠償する資力はない。
右の如き次第で、債権者としては前記本案判決確定まで、これらの精神的苦痛並びに物質的損害に到底耐えることができないので、それ以前において債務者等をして本件家屋より退去せしめる仮処分を求める必要があるのであるが、もしその仮処分が急速に得られがたい場合には、せめて電気及び瓦斯の使用を禁止して、一日も早く債権者をして右の苦痛又は損害より免れしめられたく、本件仮処分命令の申請に及んだのである、とかように述べた。
債務者等は主文同旨の判決を求め、次のように答弁した。
債権者主張の事実中債権者が昭和二十年四月二十二日亡山本武俊から別紙目録表示の建物一棟を賃借居住しその後債権者の次男能雄が右建物に同居して歯科診療所を開設するに至つたこと、債務者等が昭和二十一年三月二十八日以來右建物の内別紙目録表示の部分を占有していること、債権者より債務者等に対し占有回收の訴の提起せられたこと、及び債務者等が写眞の燒増し引伸し等に電気を用いていること(尤もこれは趣味としているに過ぎない)はこれを認めるが、この余の事実は否認する。
本件建物所有者訴外山本武助(法定代理人親権者母山本節)は昭和二十一年八月二十九日債権者に対し、右建物を自ら使用する必要のあることを理由として、賃貸借契約の解約申入をなし、かつ家屋明渡の訴訟を提起したところ、該訴訟(昭和二十一年(ハ)第三八三号家屋明渡請求事件)は前記の債権者から債務者等に対して提起した本件仮処分事件の本案訴訟(昭和二十一年(ハ)第四七八号占有回收請求事件)と併合せられ、昭和二十三年四月二十八日調停にかわる裁判がなされた。その要旨は、「債務者等は債権者に対し、昭和二十三年五月三十一日限り、本件建物中、南側八疊及び北側四疊半をその附属部分共明渡すべく、債権者は右明渡と同時にその二室及び北側六疊一室をその附属部分共、又同年十二月末日限りその余の部分を、いずれも山本俊助に明渡すべきこと」を命じたものである。從つて仮に債権者の主張に理由があるとしても、仮処分の必要はない。
なお債務者芳久は昭和二十五年一月九日本件家屋から荒川区尾久町八丁目千三百三十九番地に轉出したが、それは同人の妻の父が病気で、看護する必要があり、その病気が長引くので一時轉出したものである、とかように述べた。
債権者は債務者等の右の主張に対し次のように述べた。昭和二十一年八月二十九日山本俊助から債権者に対し賃貸借の解約申入をしたことは否認する。尤も同日武田熈弁護士が山本俊助(法定代理人山本節)の代理人として右の解約申入をしてきたことはあるが、当時武田弁護士にその代理権はなかつた。
昭和二十三年四月二十八日債務者等主張のような調停にかわる裁判のあつたことは認めるが、右裁判に対して、債権者は自己に不利な部分に限り即時抗告を申立てたのに、債務者等は何等の抗告をしなかつたので、結局右裁判中債権者に有利な部分即ち「債務者等は債権者に対し、昭和二十三年五月三十一日限り、本件建物中南側八疊及び北側四疊半を明渡すべきこと」を命じた部分は既に確定した。從つてこれと同趣旨の仮の地位を定める仮処分を求める債権者の本件申請は正当であり、殊に債務者芳久は昭和二十五年一月九日本件家屋から他に轉出したから、少くとも同人が從來使用占有していた北側四疊半室及び玄関土間を債権者に明渡すべき旨の仮処分申請は当然認容せらるべきである。とかように述べた。
<立証省略>
三、理 由
債権者が昭和二十年四月二十二日訴外山本俊助先代武俊から別紙目録表示の本件建物一棟を賃借してこれに居住し、同年九月次男能雄を同居せしめ、同人はその後こゝで歯科診療所を開業するに至つたこと、債務者等が昭和二十一年三月二十八日以來右建物の内別紙目録表示の部分を占有していることは当事者間に爭いがない。
債権者は債務者等の右占有開始が債権者に対する占有侵奪によるものであると主張する。
成立に爭いのない甲第七、第十五号証、原本の存在及びその成立につき爭いのない甲第九号証、一應成立を認め得る甲第十三号証の各記載及び証人野村能雄の証言に徴すると、一見債権者の右主張が肯認され得るようであるが、これを次に認定する各証拠と比照して考えると、未だ占有侵奪の事実を疏明するに十分といゝ得ない。即ち上記の各証拠と、成立に爭いのない乙第三号証、第十号証の二ないし八(但し乙第十号証の四は前記甲第七号証と同じ)第十一号証の各記載及び証人田島祥二、山本節債務者本人山本貞夫の各供述とを比照し、これを綜合して考察すると、一應次のように認定される。
本件家屋は所有者山本武俊が昭和十六年頃文部省から長崎医大に轉任して以來、その管理は母しのに託され昭和二十年四月当時には右母しのと武俊の弟(しのの三男)である債務者芳久及び妹佐だ子がこれに居住していたところ、たまたま債務者芳久の勤務先会社の工場が山形に疎開のため、芳久も山形に轉任することになつたので、母しの妹佐だ子も共に山形に疎開轉住することになり、前記のように昭和二十年四月二十二日母しのが武俊に代つて本件家屋を債権者に賃貸したのである。(但し右家屋の内北側四疊半の一室には残留家財を入れておくため借家人は右四疊半室を使用しない約束であつた。なおその際期間の点につき一年間位という話は出たかも知れないが、それが期間一年として確約されたとは認め難い)かくして債務者芳久母しの等は山形に轉住し、武俊や母しの留守中の本件家屋の管理はその近所に住むしのの二女(武俊の妹)田島とし子に託されることになつた。
ところが昭和二十年八月九日武俊が長崎で原子爆彈で死亡したので、その遺族妻節及び子供俊助外三名はいずれ長崎から引揚げねばならぬし、母しの等も終戰となつてこれ又いずれ山形から引揚げねばならぬことになつて、こうした山本家の人々が一緒になつて生活してゆくため本件家屋の必要が予期されたので、田島とし子は昭和二十年九月上旬債権者に右家屋の明渡方を交渉した。その後債務等芳久も勤務先工場が終戰により解散しそのため退職することになつて東京で職を求める必要上山形よりも東京の田島方に厄介になる方が多い状態になつたので、とし子の夫田島祥二は昭和二十一年二月中旬しのの依頼で債権者に対し同居方を交渉したし、しのも同年三月上旬上京して直接債権者に同居方を頼んだ外、三男芳久、四男重雄(同人は同年二月頃復員)を通じ又警察その他の第三者を介して再三再四債権者に本件家屋に同居方を頼んだが、いずれも断られた。
そうした折柄しのの二男である債務者貞夫が昭和二十一年三月二十六日外地から復員して一先づ田島方に落着き、居合わせた母しの弟芳久、重雄等から右の事情を聞いて翌二十七日夜債権者方を訪ねた。そして債務者貞夫は債権者に対し、「兄(しのの長男)武俊が死亡したので次男である自分がその遣族や母しのの世話をせねばならぬこと、又妹(しのの長女)中村千代子の夫が戰死したので右千代子やその子供も引取らねばならぬし自分の妻子も引取らねばならぬこと」等縷々事情を訴え、本件家屋を明渡して欲しいが明渡のできるまで同居させて欲しいと懇請した。これに対し債権者はどの部屋を希望するかとたずねたので、貞夫は南側の八疊、六疊又び北側四疊半(こゝは前記のように残留荷物のおいてある室)に入りたい旨述べると、債権者は南側の六疊は客のある時必要だから應じられないと断わりなお一年以内には明渡すからそれまで待つて欲しいというような話もしたが、貞夫はそれは困るといつてあくまで同居の承諾を求めた。大体右のような経過で結局債権者は同居を承諾したわけではなかつたがその應待が非常に同情的好意的な態度で強くあくまでも拒絶するという明確強硬な返事もなかつたので債務者貞夫は右の折衝で大体部屋割も定まり南側八疊と北側四疊半に入ることの承諾は得られたものと思つた。
そこで翌二十八日の朝、田島祥二、債務者芳久弟重雄少し遅れて債務者貞夫等が若干の荷物を持つて債権者方に行き、前夜の承諾により引越して來た旨挨拶して本件家屋に入ろうとした。これに対し債権者は同居を承諾したことはないと爭つて一應入居を断つたが債務者等が前夜の折衝で同居の承諾を得部屋割もきまつた旨強く主張して入居しようとしたところ、債権者は強いてこれを制止することもなく、「それでは御随意に」といつた趣旨の言葉を残してそのまゝ外出してしまい、同家に居合わせた債権者の妻はまや二男能雄も別段債務者等の入居を拒まないので債務者は債権者がしぶしぶながらついに同居を承諾したものと思つて前記八疊、四疊半の二室に入り爾來本件家屋に同居して別紙目録記載の部分を使用占有するに至つた。
尤もその際債権者の内心はあくまで同居に不承諾で債権者が「御随意に」といつて外出したのは、警察の保護を依頼しないしは債務者等を家宅侵入罪等により告訴するためであつたのであるが、債権者はその際もその日帰宅した時も、又その後においても、別段そうした意思を明示せず、爾來債務者等が電気や瓦斯を共同使用するについても格別の異議を述べなかつたのでそれから数十日を経た昭和二十一年五月末頃債務者等が自己の使用した分の電気、瓦斯料金を支拂う旨債権者に申入れたところ、債権者から債務者等は家宅侵入により電気瓦斯を盗用しているのであるから出る所へ出てとるといわれ、又その頃債権者からの告訴による警察の取調を受けて始めて債務者等は債権者の眞意を知つた次第でそれまでは同居について兎に角にも債権者の承諾を得られたものと思つていたとこう一應認定されるのであつて、上記各証拠中右認定に反する部分は採用しがたい。
右の如くで債務者等が昭和二十一年三月二十八日本件家屋に入居したそのしかたに、若干強引のきらいがあることは否定できないが、債務者等は債権者の明確強硬な拒絶にかゝわらず、集団的暴力でその制止を排して入居を敢行したのではないのは勿論その際、もし債権者がもつと明確強硬に債務者等の入居を拒絶すればいかなる危害を加えられるか知れぬ恐れがあつたというような急迫した事情が存したとも思われない(甲第十三号証の記載証人野村能雄の証言その他債権者の提出にかゝる資料では未だ疏明不十分である)むしろ債権者としては、山本俊助所有の本件家屋につき、山本一家の人々がその生活を確立するためには右家屋の使用を必要とする事情を縷述して同居を懇請し債権者の再三の拒絶にもめげずどうしても入居の承諾を得なければ已まぬていの熱心なかつ強い同居承諾の要求に対してはついにこれを拒絶し切れず、やむを得ず一時その入居を黙認しておいて、後で合法的にこれが返還明渡を受けようとしたものというべきであろう。
果してそうだとすれば、債権者が本件家屋全部につき賃借権その他の本権を有することを主張し、債務者等の占有が何等正当の権原に基かないことを理由としてその明渡を求めるのは格別として、前記のような事情のもとに、債権者の一應の黙認のもとに入居した債務者等の右占有開始を不法な占有侵奪と解するのは相当でないと考える。
以上により結局債権者主張の占有侵奪の事実はその疏明不充分というべく、從つて右占有侵奪を前提とする仮処分の申請は失当として却下をまぬがれない。
債権者は、昭和二十三年四月二十八日なされた債務者等主張の調停にかわる裁判中、債権者に有利な部分即ち債務者等に対して本件各室の明渡を命じた部分の條項は既に確定した旨主張する。然し同條項は他の條項と互いに関連しており、同條項だけが分離独立して確定すべきものでないことは成立に爭いのない乙第一号証(右決定書)の記載内容に徴して明白であるから債権者の右主張は採用の余地がない。
電気及び瓦斯の使用禁止の仮処分申請については成立に爭いのない乙第十号証の六及び八の各記載証人田島祥二及び債務者本人山本貞夫の各供述に徴すると、債権者は債務者等から電気瓦斯使用料金の分担支拂を申出ているのにこれを拒絶していることがうかゞわれるのみならず、一應成立を認め得る甲第八号証成立に爭いのない乙第十号証の六及び八第十二号証の各記載に徴すると、債務者等は昭和二十四年一月以降瓦斯は使用せず電気は債権者と別個の電燈線(外線)を引いて各別に使用(但し勝手元の電燈だけ未だ共同)しており、少くとも現在においては債権者主張のような電気瓦斯の割当供給を超過して使用し供給停止処分を受けるような恐れはないことがうかゞわれる。この認定をくつがえして右仮処分を必要とする理由を疏明するに足る資料は存しない。從つて他の点について判断するまでもなく、電気瓦斯の使用禁止の仮処分申請も亦失当であることが明らかである。
よつて債権者の本件仮処分命令の申請はすべてこれを却下し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文のように判決する。
(裁判官 武藤英一)